【農】大和特産の畜産物は、いかがですか (鉄田憲男)
奈良県には海がないが畜産物が美味しい。大和肉鶏(やまとにくどり)、大和牛(やまとうし)、ヤマトポーク、倭鴨(やまとがも)。あなたはどの「やまと」にしますか?
前回の「農」のコラムで、鎌田道隆さんがスイカのことを書いておられた。今やスイカの産地といえば熊本や鳥取だが、全国で出荷されるスイカの「タネ」は、8~9割が奈良県産だ。温暖で雨が少ない奈良盆地の気候と、「西瓜(すいか)王」と呼ばれた萩原善太郎氏(明治28年生)らの品種改良の努力により、「大和スイカ」は全国を席捲(せっけん)した。昭和30年代前半頃までは奈良盆地一帯がスイカ畑で、収穫期には番小屋を建て、スイカ泥棒を見張っていた。
閑話休題。今回は、奈良県が誇る畜産物の話である。県下の畜産物というと、大和肉鶏、大和牛、ヤマトポークが知られるが最近、彗星のごとく倭鴨が飛来した。
1.大和肉鶏
大和「地鶏」という人がいるが、それは間違い。「大和肉鶏」は固有の品種名である。名古屋コーチンのオスとニューハンプシャー種のメスをかけあわせてできたメスを母鶏、シャモのオスを父鶏にもつ3種交配の品種だ。ブロイラーの約2倍の120日間かけて飼育する。昔の「大和かしわ」を彷彿させるうま味と歯ごたえのある鶏だ。
2.大和牛
但馬牛や丹波牛とともに、良牛を描いた鎌倉末期の図説「國牛十図」に登場する。今の大和牛には「指定生産農家が30ヵ月以上飼育した黒毛和種の未経産雌牛」などの条件がつく。「大和牛の証(証明チケット)」により、店頭で生産者や流通経路情報の確認ができる。 赤身が強く、柔らかで上品な味わい。なお「はいばら肉」は福壽舘の登録商標であり、大和牛とは別もの。
3.ヤマトポーク
イギリス原産の大ヨークシャー種とデンマーク原産のランドレース種をかけあわせてできた母豚と、アメリカ原産のデュロック種の父豚から産まれた肉豚。出荷の2ヵ月前からは指定された統一飼料が与えられる。肉の中に上質の脂身が適度に交じり、ジューシーで豊潤な豚肉だ。
4.倭鴨
飼料・飼育環境・飼育日数にこだわり飼育された御所市・葛城山麓産の合鴨肉。脂肪と赤身のバランスが良い。鴨特有の臭味がなく、うま味が濃い。軽くあぶった焼肉が美味だが、冬場はやはり鴨鍋がおすすめだ。
奈良は畜産物も、野菜も美味しい。これからの季節、たっぷりと地元の山の幸、里の幸を味わっていただきたい。
鉄田憲男氏
1953年和歌山県生まれ。1976年大阪大学経済学部卒業、
1978年早稲田大学文学部卒業、同年南都銀行入行。
現在 同行公務・地域活力創造部に勤務、NPO法人「奈良まほろばソムリエの会」専務理事、奈良佐保短期大学講師。
奈良県の魅力向上に貢献したとして2011年、第2回あしたのなら表彰(奈良県知事表彰)を受けた。tetsudaブログ「どっぷり!奈良漬」
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